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湯の印象 B秘境度  3
 
 『いいんである。高知だから。』
 
 四国最長の『四万十(しまんと)川』は、実は地元では『渡(わたり)川』と呼ばれていた四国の果ての幡多地方の地味な名前の大河であった。日本最後の清流という全国メディアのイメージ報道により俗称である「四万十」のほうがはるかに有名になってしまったという名前先行型の清流である(笑)。・・・が、元来がノリの良い幡多人はそのことに気を悪くするどころか、むしろ「売りのチャンス」としてとらえ、なんと自分達の住む地名まで「四万十」に変えてしまった。おそらくは「酒の席」で決まってしまったことに違いないと思うが、そんなことは高知だからどうでもいいんである(笑)。
 
 まずはその河口にあって、土佐の小京都と称された応仁の乱からの一條家ゆかりの「中村市」は『四万十市』に改称。「負けてはならとじ」と中流域の「高岡郡窪川町」と「幡多郡大正町」ならびに「幡多郡十和(とわ)村」とが合併して『四万十町』に改称。「四万十市」と「四万十町」が別々に隣同士にあって県外人にとってはただささえ混同してややこしい上に、よく考えたら旧中村市の『四万十市』にも古くから「四万十町」が存在し、何がなんだかわからなくなっているんだが、いいんである。高知だから。(笑)
 
 ちなみに同じ幡多郡の「佐賀町」と「大方町」も同時期に合併して『黒潮町』と名を変えた。島国日本の太平洋岸に星の数ほどある黒潮ゆかりの土地に気を遣わずに勝手に名乗っても大丈夫なのか?とは思うのだが、いいんである。高知だから。(笑)
 
 この旧「大正町」は明治時代にできた「東上山村」が大正3年に改称して「大正村」になったという、その由来や理由はわざわざ調べなくともでもうすうすわかる上に、町役場隣にあるJR「土佐大正駅」の次の駅は「土佐昭和駅」と・・・・(苦笑)。おい、もっと奥ゆかしい工夫はなかったんかいと文句を言いたいんであるが、もういいんである高知だから。(涙)
 
 まぁ、何はともあれ、こんな名前の由来の大正町の街はずれに古くからあったので「大正温泉」なのである。温泉の名前の由来を説明するだけで、かなりの字数とエネルギーとを割いてしまったので、今日はこれまで・・・である。え、お湯の成分について? そんな細かいことはいいんです。高知なんだから。(笑)
 
 
 近くのスポット
 『四国酒蔵88箇所42番 無手無冠』
 『四国堰堤88箇所39番 津賀ダム』
 『四国堰堤88箇所番外7番 佐賀取水堰』
 
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 「国道381号線との分岐点を梼原川沿いに国道439号線にのぼってすぐのトンネルを出たところから右折すると、温泉である。」国道381号線との分岐点を梼原川沿いに国道439号線にのぼってすぐのトンネルを出たところから右折すると、温泉である。 
 
   
 「温泉はご主人がなくなって一時閉館されていたが、奥さんが頑張って再開している。」温泉はご主人がなくなって一時閉館されていたが、奥さんが頑張って再開している。 
 
   
 「小振りで昔の温泉らしさたっぷりの湯船である。」小振りで昔の温泉らしさたっぷりの湯船である。 
 
   
 「JR土佐大正駅の看板。まだ「国鉄」と表示されたままである。(画像はクリックすると拡大します)」JR土佐大正駅の看板。まだ「国鉄」と表示されたままである。(画像はクリックすると拡大します) 
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